Bawa Zawa

空間デザインを学ぶ学生が、気が向いたときに更新してます

「英語を話す時の自分って、なんか日本語の時と違くね?」の答えを見つけました

「英語を話す時の自分は、日本語を話す時よりも相手の意見に好意的で、よりポジティブだなー」

と2か月くらい前から思っていました。

どういうメカニズムなのかは分からないけど、英語で話す時は、別に意識しなくても建設的な話ができることが多い。相手の主張をしっかり聞いて、疑問を持ったことや自分の主張を議論して、その題材への理解がお互いに深まっていく、ということが多いように感じていました。

 

 

 今日なんとなくYoutubeで見ていたTEDが、ドンピシャでその疑問に答えていて、思わず前のめりで聞き入りました。

 

How language shapes the way we think | Lera Boroditsky

 

「それぞれの言語は、その構造とか語彙に差があり、それが人の思考に影響を与える」という趣旨でした。

 

 

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例えばこの写真を見たときに、英語では"He broke the base" と言いますが、スペイン語では” The bese broke (itself)"と描写するのがナチュラルだそうです。

 

これは、英語話者とスペイン語話者で「注目ポイント」が違うということ。英語は「誰が壊したか」に注目しやすい文構造になっていて、スペイン語は単に「壊れた」という事実に注目する文構造になっているわけです。 

、、(そういえばブラジルで仲良くなったコロンビア人のお爺さんが「英語で話すとみんな"I"ばかりで、自己主張で権威性を持たせようとする感じが嫌だ」と言っていた)

 「卵が先か鶏が先か」のように、「言語が先か思考が先か」問題はありますが、とにかく言語によって同じ事実でも「認識が異なる」という点に、僕はすごく納得しました。

 

 

 

そしてもう一つ、この動画を見て心に響いたものがありました。

 

最後の方にスピーカーの方が問題提起をするんですが、その内容が衝撃。「言語が違えば認識が違う、だから考え方も影響される」と説明した結びとして、グローバル化によって思考が均質化される」と警鐘を鳴らしていました。

 

スピーチによれば、現在およそ7000の言語が地球上にありますが、100年後には半減してしまうと予想されるそう。これすなわち、みんな同じ風に考えるようになって考えに多様性がなくなるんじゃないか、という主張です。

 

オーストラリア先住民であるアボリジニは、方向を示すときに、「左右」はつかわず、全て「方角」で話すそうです。例えば「お前からみて北北東の方向に〇〇があるぞ!」みたいな風に話すとか。そんな言語環境で暮らす彼らは当然、方角への感覚が英語や日本語よりも鋭くなりそうですよね。

 

言語が減るとこういう知覚の多様性が失われるというのは確かにありそう。言語が違えば、世界の捉え方がこうも違うのかと、感動するのと同時に、言語がグローバル化して淘汰されていくのは勿体無いと強く感じました。

 

 

 

 

谷崎潤一郎は著書「陰影礼賛」のなかでヒーター(だったっけ?)が日本の座敷にまったく似合わないことを嘆いて「西洋に迎合しなければ、東洋独自のヒーターができていたかもしれないし、さらに言えばその根幹の物理学、科学さえも独自に発展していたかもしれないのに、、、」と書いていたのを思い出しました。100年近く前にグローバル化の弊害を捉えていたなんてびっくり。