「回転させると別の空間に見える」1つの部屋を設計した話
めちゃめちゃ久しぶりの投稿。これからはこのサイトは、環境問題だけじゃなくて、雑記ブログにしようと思う。
大学に復学して初めてのデザイン課題。いろいろ長い説明があったが、要約すれば「変な家を作ってください」というものだった。
提出までの期間はちょうど1週間。頭の片隅に置きながら、本を読んだり、人と話したり、散歩したり、他の課題やバイトなどした。
2日後の昼、大学に行くために駅まで歩いている途中でアイデアが降ってきた。
ある部屋をさかさまに見たら、全然印象が違う別の空間に見えるような家(というか部屋)を作ってはどうかと。
「角度を変えると別の空間に見えるモノ。例えば柱が、回転すると腰掛になったり、梁になったりと、見方によって同じ一つの物体なのに「見え方」が変わってくるような。
たぶんインスタとかで何となく見ていた「建築あるある」みたいな海外のイラストで、建築家(ファラオの格好)が、施工者(一般労働の人)に向かって、「こんなの、全然図面と違うじゃないか!!」と怒っているシーンで、その背景に逆さまのピラミッドが砂漠に立っていたやつ。ここがアイデアの種だったらしい。(写真見つからなかったので似たイメージ)
思えば、空間に限らず、「コトバ」でもそういうことって起こってる。例えば英語を話す自分はめちゃめちゃポジティブで、積極的でどこにいっても必ず友達ができる。一方で日本語を話す自分は、どことなく相手に臆病で、本音を最後まで言わずに芸人に徹する。
これってたぶん俺が育った言語環境に大きな影響がある。例えば日本語は、保守的な両親と過ごすうちに自然と身についたものだ。彼らの口癖が移っても仕方がない。たとえば「でも...」とか、日本語では俺はめっちゃ言う。
一方で英語は、洋楽や、外国人の友達との会話から学んだ。音楽とかは特に、必要以上のオーバーリアクションという表現の上に成り立つものだし、母国語でない英語は、思い通りに自分の意図が伝わらないこともある。だから英語を話す時、自分はジェスチャーが大きくなり、表情も豊かになる。こういうNon Verbalなところで言外の意味で相手に伝えようと「積極的」なコミュニケーションをとるようになった。
つまり「言語は人の性格さえもつくる」ということだ。
それと同じように、空間でも見方が変われば印象が異なる、そんなものを作ろうと考えた。
作っている途中では、4面それぞれが部屋として成立するために、何回も調整を繰り返した。柱、壁、階段、窓。すべてのかたちが、他の面から見た時に、ちゃんとその空間を特徴づける要素になれるように何回もトライ&エラーを繰り返した。
「設計あるある」の、途中で手詰まりになって、「あぁ、難しい、どうしたら良いだろう」という壁にぶち当たった。そのときは一瞬休憩して、一区切りをつけ、頭をリセットしてから取り組むと、スイスイと進んだ。
カルロ・スカルパというイタリアの建築家に前から興味があったけど、ちゃんと勉強をしたことは無かった。今回の課題をしながらスカルパの空間演出を勉強するきっかけができたのは良いこと。
完成したものは自分的には結構気に入ってて、アイデアも空間も上質だと思った。
「いやこれ、絶対キタでしょ。まじで教授たちを驚かせられるに違いない、、(・∀・)ニヤニヤ」
という感じで自信満々で大学に持って行ったのだが、結果は散々!!!
教授たちには見向きもされていなくて、めちゃめちゃ悔しい思いをした。
自分の中で一山超えた感じとか、学びが深まったこととか、課題を通して成長した感じはある。しかし評価されないというだけで萎えるのは、まだまだ未熟な証拠かと。
オンラインで授業を聞いてたらある先生が自分の模型を持ちながら
(省略)......This idea is quite interesting......
(省略).....But rather, what ○○さん made is well prepared...
みたいなことが途切れ途切れに聞こえた。動画の中では他の人の制作物(めっちゃ模型綺麗。面白い素材使って丁寧に作られている)と見比べられていた
察するに「君の作ったものは面白いけど、この人の方と比べると模型のクオリティが低い!!だから君は評価しなかった」(意訳)といわれていたのではと推測。
この悔しさをバネにまた頑張ろうと地団太を踏みながら感じる。